ツイッターでじっちゃま @hirosetakao のツイートをいつも見ています。
投資情報の中に人生の知恵や勉強になることを沢山ツイートされているんです。
そのツイートが素晴らしすぎる・・・ということでまとめてみました!
ツイートだと流れていってしまうんですよね(T_T)
それが残念すぎて・・・。
ちなみにじっちゃまは鍵アカウントになっております。
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じっちゃまの勉強になるツイート
★今日は2020年1月16日のツイート
【なぜ社会主義圏が崩壊した?】
なぜ社会主義圏が崩壊した? それについて書きます。1988年、ソ連の原油生産が前年比でマイナス(赤の矢印)を記録しました。1137万バレル(前年比-4.3万バレル)
— じっちゃま (@hirosetakao) 2020年1月16日
なお85年にデータがUSSRからロシアへと切り替わっている(黄色)。そこの落ち込みはデータが不連続だから。 pic.twitter.com/i5LytmBRDa
ソ連は衛星国に対し市場実勢価格を大幅に下回る安い値段で石油・天然ガスを供給していました。これが実質的な補助金となっており、衛星国をひとつにつなぎとめる重要な役割を果たしていました。
— じっちゃま (@hirosetakao) 2020年1月16日
ところが生産が伸びないので衛星国へのエネルギーの供給が途絶え始めました。東欧の冬は寒いです。これがモスクワに対する不満の一因となりました。
— じっちゃま (@hirosetakao) 2020年1月16日
なぜ増産できなくなった? ひとつには油田が古くなるにつれ含水量が増え、非効率になったのだと思います。また80年代半ばにアゼルバイジャンやコーカサス地方で民族的な動機からストライキなどが相次ぎました。この地方は石油サービスの機器、交換部品の生産地です。
— じっちゃま (@hirosetakao) 2020年1月16日
交換部品が届かなくなったのでソ連各地の油田のメンテもおろそかになりました。これが異変の原因。
— じっちゃま (@hirosetakao) 2020年1月16日
当時僕はNYのSGウォーバーグに勤めていました。石油のアナリストとしてモルガンスタンレーからメアリー・クインという女性が引っこ抜かれて来た。彼女は「ソ連の原油生産高に異変が見られる」というレポートを書きました。
— じっちゃま (@hirosetakao) 2020年1月16日
彼女は大学院での専門がソ連の石油産業でした。当時、ソ連はゴルバチョフの下、グラスノスチ、ペレストロイカを推進中で、石油産業に関するデータも、ようやく取りやすくなっていた……。
— じっちゃま (@hirosetakao) 2020年1月16日
1989年5月ブッシュ大統領がテキサスA&M大学の卒業式に来賓として招かれ、そこでスピーチしました。そのとき「Beyond containment」つまり冷戦を乗り越えてソ連と協力すべきだというスピーチをします。
— じっちゃま (@hirosetakao) 2020年1月16日
そして「Open Skies」を提唱します。
この後、たしか英国のジェームズ・ケーペル証券の社員だったと思うけど、実際にソ連に単発機で領空侵犯してみせ、「Open Skies」が守られていることを実証した男も出て来ました。
— じっちゃま (@hirosetakao) 2020年1月16日
一方、その頃、ジョージアのトビリシでは市民のデモ行進が起こり、軍隊が出動して20人くらいが死亡する騒ぎになりました。
— じっちゃま (@hirosetakao) 2020年1月16日
ゴルバチョフはジョージア出身のシェワルナゼ外相をトビリシに派遣し、騒ぎを収めました。
— じっちゃま (@hirosetakao) 2020年1月16日
この頃までには「共産圏で何か大きな変化が出ているぞ」という認識が世界に広がりました。それは中国にも広がりました。
6月4日、ゴルバチョフは中国の北京を歴訪します。しかし……
ゴルバチョフの訪中にエキサイトした北京の市民が天安門広場に集まった為、ゴルバチェフの歓迎式典は急遽場所を変え、北京空港で行われました。
— じっちゃま (@hirosetakao) 2020年1月16日
1989年11月9日にベルリンの壁が崩壊し、東側の市民が西ベルリンに殺到しました。
— じっちゃま (@hirosetakao) 2020年1月16日
その年のクリスマスにルーマニアの独裁者チョウチェスクが処刑されました。
— じっちゃま (@hirosetakao) 2020年1月16日
ソ連邦の瓦解が始まり、ソ連経済は大混乱します。1990年8月にボリス・エリツィンがクーデターを起こし、12月25日にゴルバチェフは書記長を辞任、ソ連邦が正式に解散し、ロシアが生まれます。
— じっちゃま (@hirosetakao) 2020年1月16日
ソ連経済の疲弊は、もちろん原油生産だけにとどまらず、いろいろな方面に渡っていたと思います。たまたま原油生産の統計は比較的信頼度が高いのでそれを引用したのみです。
— じっちゃま (@hirosetakao) 2020年1月16日
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