ツイッターでじっちゃま @hirosetakao のツイートをいつも見ています。
投資情報の中に人生の知恵や勉強になることを沢山ツイートされているんです。
そのツイートが素晴らしすぎる・・・ということでまとめてみました!
ツイートだと流れていってしまうんですよね(T_T)
それが残念すぎて・・・。
ちなみにじっちゃまは鍵アカウントになっております。
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じっちゃまの勉強になるツイート
★今日は2020年1月5日のツイート
【駆け足でサウジアラビアの歴史を語ります】
このときパレスチナのユダヤ人の境遇に関し同情的だったルーズベルト大統領が「ユダヤ人をよろしく頼む」とアブドル・アジズに言います。
— じっちゃま (@hirosetakao) 2020年1月4日
イスラエルとサウジアラビアは敵だけど、サウジが最後のところではイスラエルをリスペクトする理由は、この巨頭同士の契りに敬意を表しているから。
サウジアラビアは「若い国」です。建国の父はアブドル・アジズ・イブン・サウドです。 pic.twitter.com/QtxVSC7h8v
— じっちゃま (@hirosetakao) 2020年1月4日
サウド家はもともとリヤドの町を支配していましたが、諸侯との争いに負け、クウェートの友人のところへ逃げ込みました。そこから荒くれ者たちを編成し、リヤドの町を夜明けの急襲で奪還しました。1902年のことです。当時アブドル・アジズは弱冠26歳。早い話、「愚連隊のリーダー」というわけ。
— じっちゃま (@hirosetakao) 2020年1月4日
当時のアラビア半島は主にベドウィンと呼ばれる遊牧民たちが移動する砂漠であり、「強い者が支配する」という砂漠の掟により諸侯が割拠していました。アブドル・アジズはファミリーの故郷であるリヤドを先ず盗り、そこを基盤に各個に敵を撃破し、サウジアラビアを統一します。
— じっちゃま (@hirosetakao) 2020年1月4日
聖地メッカを制圧したのは1925年です。そして1932年にスタンダード石油カリフォルニアの技師が「中東で石油が出る!」という噂を聞きつけてアブドル・アジズのところへ来ます。
— じっちゃま (@hirosetakao) 2020年1月4日
そのときアブドル・アジズの「番頭」をしていた男がシーク・アブドラ・スレイマン。彼の血筋はイラクの平民。でもソロバンに長けているのでアブドル・アジズの金庫番になりました。オイルメジャーとの交渉は、全てこのスレイマンを介して行われました。
— じっちゃま (@hirosetakao) 2020年1月4日
アブドル・アジズ国王の財産、すなわちサウジアラビアの「国庫」の全ては、ひとつのトランクに収まる財宝でした。
— じっちゃま (@hirosetakao) 2020年1月4日
当時の中東では前にイランの歴史で説明したアングロ・イラニアン・オイル・カンパニー(AIOC)が圧倒的な存在でした。
でもアラブ諸国はイランがAIOCとの関係で冷遇されるさまをみたので、AIOCと契約を結ぶことには消極的でした。このためクウェートはテキサスのガルフオイルと、サウジはスタンダード石油カリフォルニア(=略してソーカル)と権益の契約を結びました。
— じっちゃま (@hirosetakao) 2020年1月4日
ソーカルはロックフェラーのスタンダード石油が独禁法で解体されたとき、カリフォルニア州の資産を受け継ぎました。カリフォルニア州は広大な土地で石油も出たのですが、どんどん増える需要に生産が追い付かず、川上部門でホームランを打つ必要がありました。だからサウジに賭けた。
— じっちゃま (@hirosetakao) 2020年1月4日
ソーカルとサウジとのコンセッション契約の調印は1933年。サウジは3.5万ポンドを前金として受け取り、18か月後2万ドルを受け取る。さらにソーカルは毎年サウジに5千ポンドのおカネを支払う。そして原油が発見されたら5万ポンドを毎年支払い+ロイヤリティーを払うという契約でした。
— じっちゃま (@hirosetakao) 2020年1月4日
最初は石油が出なくてソーカルは資金が尽きそうになります。そこで慌ててもう1社、アメリカの企業をコンソーシアムに招き入れます。それがテキサコ。テキサコはアフリカとアジアに製油所を建設したけれど原油の生産が少なかったのでサウジに目を付けた。
— じっちゃま (@hirosetakao) 2020年1月4日
ソーカル・テキサコ連合がようやく石油を発見したのは1938年。4千バレル/日の流量でした。サウジでの増産のためソーカル・テキサコは3つ目のパートナー、スタンダード石油ニュージャージー(=エクソン)を招き入れます。これにスタンダード石油ニューヨーク(=モービル)を合わせ…
— じっちゃま (@hirosetakao) 2020年1月4日
ここにサウジアラムコが誕生するわけです。1945年2月(=つまり沖縄決戦の2か月前、欧州ではドレスデン爆撃が行われていた頃)、フランクリン・ルーズベルト大統領とアブドル・アジズはスエズ運河を航行中の重巡洋艦クインシー艦上で会談します。 pic.twitter.com/sya9jEdm1k
— じっちゃま (@hirosetakao) 2020年1月4日
このときパレスチナのユダヤ人の境遇に関し同情的だったルーズベルト大統領が「ユダヤ人をよろしく頼む」とアブドル・アジズに言います。
— じっちゃま (@hirosetakao) 2020年1月4日
イスラエルとサウジアラビアは敵だけど、サウジが最後のところではイスラエルをリスペクトする理由は、この巨頭同士の契りに敬意を表しているから。
イランのところで述べたようにイギリスとイランの関係はつねにギクシャクし、ロイヤリティーを巡って揉めに揉めたわけですが、これと対照的にサウジアラムコは「番頭」がしっかりしていたので不平等な条件ではなかった。またソーカル、テキサコ、エクソンはどんどん優秀な技師をサウジに送り込んだ
— じっちゃま (@hirosetakao) 2020年1月4日
サウジの優秀な若者はテキサスA&M大学、ハーバード大学などに留学し、最新の技術を学びました。タリキ、ヤマニなどの世界情勢に明るい石油相が出た。
— じっちゃま (@hirosetakao) 2020年1月4日
以上がサウジとアメリカの馴れ初めです。アメリカは初めから(アラビアの砂漠では強い者が支配するという論理が働いているのだな)ということを理解していたので、デモクラシーじゃない国でも気にせず付き合いました。最近ではワシントンポストのカショギ暗殺事件があったわけですが…
— じっちゃま (@hirosetakao) 2020年1月4日
それでもアメリカがサウジへの支持を翻さない理由は、この「強い者が支配する」という力の論理をよく理解しているから。
— じっちゃま (@hirosetakao) 2020年1月4日
一方、サウジもアメリカ人の「商売優先!」というメンタリティーを良く理解している。大事なのはスレイマンに代表される「そろばん」なのであり、イデオロギーが違う相手とも友好関係は構築できるという信念を持っています。
— じっちゃま (@hirosetakao) 2020年1月4日
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